記事一覧

消費者金融業界の個人信用情報機関

消費者金融の業界のこのような状況下で、個人情報問題でエポックメーキングな出来事がありました。経済協力開発機構(OECD)のプライバシー保護に関する理事会勧告が発せられたのです。急速に進むコンピュータ化の進展に伴って、個人情報の扱いがこれまでの伝統的な個人の権利の枠を超えてきたためです。しかも、簡単に国境を越えることも簡単になりました。わが国のように島国で日本語という特殊な言語の国の場合は、それほど緊迫した問題としては感じることはできませんでしたが、欧米ではすでにプライバシー保護に関して立法化も進んでいたのでした。OECDの理事会勧告は、加盟各国に個人データ処理に関して立法を図る上で採用しなければならない原則として次の八つの項目を掲げました。

①収集制限の原則  データの収集は無制限ではなく、法律の規定や本人の同意が必要であること。

② 内容の原則  データの収集がその利用日的に沿ったものであり、かつその範囲内でデータ内容が正確、最新であること。

③目的明確化の原則  データを収集する際、データを利用する目的を明確にすること。

④利用制限の原則  収集目的以外の利用を禁止すること。

⑤安全保護の原則  データの漏洩や不当な利用に対して必要な保護措置が必要であること。

⑥公開の原則  データにかかる政策や運営が、国民一般に対して公開されている必要があること。

⑦個人参加の原則  データ主体が自己のデータにアクセスすることができ、異議の申し立てができる権利が認められていること。

⑧データ管理者の原則  データ管理者は、以上の諸原則を実施するために国内法上の措置を遵守する責務があること。

わが国では、二〇〇三年に個人情報保護法が制定されましたが、この内容に沿ったものになっていることはいうまでもありません。会社のホームページを見ると、どこもプライバシーポリシーを掲げています。よく読むと、この八原則に沿っていることがわかります。

総論賛成、各論まとまらず

消費者金融の業界では、割賦の業界から少し遅れて一九七二年に、株式会社レンダースエクスチェンジが大阪で設立されました。翌年には東京と横浜の銀行協会が個人信用情報センターを設立しています。団地金融から発生した消費者金融の業界は、消費者ニーズをとらえて急成長していました。まだ貸金業法もなかった時代なので、金利は当時の出資法上限金利の一〇九・二%でした。市中金利も高い時代でしたが、これならそこそこ回収ができれば極大化された利益が期待できます。そこに目を付けた消費者金融会社が、アメリカから何社もわが国に進出してきました。

アメリカにはすでに業界横断型の個人信用情報機関があったので、当然日本でも使えるものと思って来たのでした。しかも金利は国内の業者の半分ぐらいでしたから、消費者の利益にもなると確信を持っていました。彼らはわが国に上陸すると、消費者金融業界の個人信用情報機関に加盟の申請をしました。ところが予想に反して却下されてしまいました。貸し倒れなどの不良債権の情報は、高い”授業料”を払った財産であって、それを他社に、それも外資の企業に利用させるなどあり得なかったのです。そこで外資系の消費者金融会社は、独自に個人信用情報機関の設立を目指しました。

その結果、一九七九年に外資系の消費者金融会社と信販会社の一部によって、株式会社セントラル・コミュニケーション・ビューロー(現:株式会社日本信用情報機構)が設立されました。この段階でわが国の個人信用情報機関は、割賦系の信用情報交換所、日本信用情報センター、消費者金融系のレンダース、セントラル・コミュニケーション・ビューロー、それに銀行の個人信用情報センターの五つになりました。個人に対する与信に関して、業態の違いはあるにしてもこれだけの機関に情報が分散していては、回収効率のアップという目標を達成するのは困難です。

個人信用情報に対する排他性

この取りまとめを受けて設立されたのが割賦制度協議会信用情報交換所です。設立趣旨としてはオールジャパンの組織を目指したわけですが、必ずしもそのような発展をしたわけではありません。そしてその状況は、二〇〇七年の貸金業法の改正、二〇〇八年の割賦販売の改正まで変わりませんでした。まず、信用情報交換所設立当時のクレジット業界に戻ってみましょう。今から半世紀も昔の話で、わが国は高度経済成長の臭っただ中でした。クレジット業界の中心にいたのは、信販会社のような第三者型のクレジット会社、月賦百貨店といわれる割賦販売専門小売業者、電機メーカー系クレジット会社、自動車ディーラーといったところが主力メンバーでした。

銀行系カード会社は当時都市銀行といわれていた銀行が母体となつて設立されていましたが、このころは”割賦”の範疇には入らないと整理されていました。さて、当時の業界における信用調査の方法ですが、前に書いた「クレジットの3C」を意識したわけではなかったかもしれませんが、各業態・各社とも工夫を凝らした調査を行っていました。月賦百貨店のような販売を伴う業態の場合は、必ず配達して自宅を確認し、ついでに家の中までのぞき込んで、支払いできるかどうか確認していました。そして回収は人が歩いて回る集金です。まだ銀行の自動振替の制度が一般的になっていなかったからというのもその理由ですが、お宅まで訪問するのは信用調査の一環でした。

どこの業界にもなかなか興味深いノウハウがありました。クレジット業界で当時最も勢力があったのは、電機メーカー系クレジット会社でした。現在のように家電販売が量販店中心の流通経路ではなく、”街の電器屋さん”の時代だったのでそこにクレジットを付けて、電機メーカーは自社製品の販売促進と同時に電器店の経営支援をしていたのです。家電業界は歴史のある業界で、割賦制度協議会の初代会長も同業界から出ていますし主力メンバーでした。合理的に考えればオールジャパンの情報機関ができたのですから、それをうまく活用すればいいと思いますが、残念ながらそうはなりませんでした。信用情報交換所ができて四年後の一九六九年に、家電業界は独自の個人信用情報機関として株式会社日本信用情報センターを設立したのです。

後に信用情報交換所と日本信用情報センターは合併することになりますが、このような動きは割賦販売法所管のクレジット業界だけではなく、消費者金融の業界でも起こりました。その理由は、個人信用情報に対する考え方が、自社の投資財産あるいは共有は利他につながるといった考え方にあります。このような考え方は、経産省での個人信用情報機関設立に向けた議論を思い出してもらえばわかると思います。機関の最終的な目標が代金の回収率の向上にあるのですから、他社がつまずいて損害を被るようなことになれば自社の利益につながる、といった考え方があったことは否めません。しかもその情報は、自社が回収不能という高い代償を払ったものです。

個人信用情報機関の始まり

先々まで契約で返済を約すのがクレジット契約ですから、先々まで返済されないと、貸し手は利益を得ることはできません。それどころか大損します。そこで未確定な将来のことではあるにしても、そのリスクを最大限排除することはクレジット会社が最も求めることです。そのリスクを排除するために先ほどの3Cを使って審査するのですが、もっと効率的にするためには、もう払えない状態にある、もしくはすでに払えないで不払いに陥った状態にあることがわかれば、かなりの精度で不払いを防ぐことができます。早い話が不払いの情報があるにもかかわらず契約すれば、相当の確率で同じように不払いになると想像がつくのです。それほど難しい理屈ではなくて、大昔にもありました。

江戸時代は、上は大名から一般の武士に至るまで借金まみれの時代でした。特にひどかったのが大名です。身分的には社会の最上位のトップでしたが、ほとんどの大名は借金で藩の運営をしていました。現在の日本の財政状況だと思えば、スケールの違いはあるにしても似たようなものです。どこから借金したかというと、まさに貨幣経済の申し子のような両替商です。現在の銀行の元になった業態です。ところが大名は権力を持っていたので、返せなくなると平気で猶予を求めたり、ひどい場合には”お断り”と開き直りました。そのために潰された両替商もたくさんありました。そこで彼らは知恵を働かせて、情報交換を始めました。

同業の寄り合いのときに「どこそこの殿様にいくら貸しているけど、返してもらえない」という情報を持ち寄るのです。最も悪いのは、すでに”お断り”があったという情報です。こんなところに貸し込んでは、ほぼ間違いなく返してもらえません。両替商は、こういう情報交換で利益を守っていたのでした。これが信用情報機関の最初の姿です。業界利益の確保が目的です。ただそれだけではなく、業界利益が確保されればより多くの人がクレジットの便益を利用できることになりますから、国民の利益ということもできます。こういった目的でわが国に最初に設立されたのが、一九六五年の割賦制度協議会信用情報交換所です。この四年前に割賦販売法が制定されていますが、制定時の国会議論にもあったように政府はクレジットを経済政策の一環として考えていました。

そこでまず通産省(現:経済産業省)は、割賦販売法とクレジットを取り扱う業界を所管する消費経済課を企業局内に設置し、次いで業界を取りまとめる団体として割賦制度協議会(現:一般社団法人日本クレジット協会)を設立しました。これによってクレジットは、経産省の所管として行政区分されることが明確になりました。この割賦制度協議会の事業目的として挙げられたのが、信用情報交換所です。経産省は割賦販売法の制定後の一九六二年に、業界のあり方に関するわが国初の検討の場として、産業合理化審議会流通部会の小委員会で「割賦販売に関する経済問題についての中間報告」をまとめています。

クレジット与信に関する審査の基準

その前に、本来の与信というものはどういったものだったかを振り返ってみます。すっかり過去のものになっているかもしれませんが、クレジット与信に関する審査の基準としてクレジットの3Cがありました。①character(性格)、②capacity(能力)、③capital(資産・担保)の三つです。まず、①character(性格)は、真面目に返済する気があるかどうかを見極めようというものです。返済はできるのに凡帳面さが欠けて、いつも支払い期日に遅れる、こういった人は避けたいので審査項目になっています。

三〇年ぐらい前ですが、その人宛てに来た年賀状の枚数で与信する消費者金融会社がありました。年賀状で何を見たかというと交友範囲です。もちろん誰と付き合っているなどということではなく、たくさん年賀状が来る人はしっかりした性格の人だろうと判断したわけです。もちろん今は、こんな審査はできません。②capacity(能力)と③capital(資産・担保)は個人信用情報の分野です。まず②capacity(能力)ですが、月々の返済を滞りなく行うには、安定した会社に長い期間勤めているほどその確率は上がります。

クレジットの申込書に勤務先や勤続年数を書く欄がありますが、これを調べるためのものです。③capital(資産・担保)は、不動産の有無が基本的には対象になります。持ち家か賃貸かでは、住宅ローンはさておき資産価値が「有」と「ゼロ」ですし、サラリーマンの場合は退職金もある種の資産になります。退職金を返済に充てるというのは非常事態ですが、不動産を担保に取ったり返済に充てることはないわけではありません。今回の法改正のきっかけとなった埼玉県富士見市の認知症姉妹の場合の与信は、まさにこれです。

手持ちの現金を住宅リフォームの販売で次々使いきってしまいクレジット契約を利用したわけですが、クレジット会社がノーマルに審査したのでは、おそらく与信は不可能だったと思います。収入といえば年金だけで、年齢も年齢です。万一に備えた担保として不動産があったために与信できたのです。このケースは特殊ですが、申込書に書かれた情報に点数を付けて審査するのが従来は一般的でした。スコアリングと名づけられたこの審査の方法は、申込者の表の顔を見るにはいい方法ですが、どのくらいクレジットの利用をしているのかとか、返済の状況まではわかりません。それで登場したのが個人信用情報機関です。