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個人信用情報機関の始まり

先々まで契約で返済を約すのがクレジット契約ですから、先々まで返済されないと、貸し手は利益を得ることはできません。それどころか大損します。そこで未確定な将来のことではあるにしても、そのリスクを最大限排除することはクレジット会社が最も求めることです。そのリスクを排除するために先ほどの3Cを使って審査するのですが、もっと効率的にするためには、もう払えない状態にある、もしくはすでに払えないで不払いに陥った状態にあることがわかれば、かなりの精度で不払いを防ぐことができます。早い話が不払いの情報があるにもかかわらず契約すれば、相当の確率で同じように不払いになると想像がつくのです。それほど難しい理屈ではなくて、大昔にもありました。

江戸時代は、上は大名から一般の武士に至るまで借金まみれの時代でした。特にひどかったのが大名です。身分的には社会の最上位のトップでしたが、ほとんどの大名は借金で藩の運営をしていました。現在の日本の財政状況だと思えば、スケールの違いはあるにしても似たようなものです。どこから借金したかというと、まさに貨幣経済の申し子のような両替商です。現在の銀行の元になった業態です。ところが大名は権力を持っていたので、返せなくなると平気で猶予を求めたり、ひどい場合には”お断り”と開き直りました。そのために潰された両替商もたくさんありました。そこで彼らは知恵を働かせて、情報交換を始めました。

同業の寄り合いのときに「どこそこの殿様にいくら貸しているけど、返してもらえない」という情報を持ち寄るのです。最も悪いのは、すでに”お断り”があったという情報です。こんなところに貸し込んでは、ほぼ間違いなく返してもらえません。両替商は、こういう情報交換で利益を守っていたのでした。これが信用情報機関の最初の姿です。業界利益の確保が目的です。ただそれだけではなく、業界利益が確保されればより多くの人がクレジットの便益を利用できることになりますから、国民の利益ということもできます。こういった目的でわが国に最初に設立されたのが、一九六五年の割賦制度協議会信用情報交換所です。この四年前に割賦販売法が制定されていますが、制定時の国会議論にもあったように政府はクレジットを経済政策の一環として考えていました。

そこでまず通産省(現:経済産業省)は、割賦販売法とクレジットを取り扱う業界を所管する消費経済課を企業局内に設置し、次いで業界を取りまとめる団体として割賦制度協議会(現:一般社団法人日本クレジット協会)を設立しました。これによってクレジットは、経産省の所管として行政区分されることが明確になりました。この割賦制度協議会の事業目的として挙げられたのが、信用情報交換所です。経産省は割賦販売法の制定後の一九六二年に、業界のあり方に関するわが国初の検討の場として、産業合理化審議会流通部会の小委員会で「割賦販売に関する経済問題についての中間報告」をまとめています。