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総論賛成、各論まとまらず

消費者金融の業界では、割賦の業界から少し遅れて一九七二年に、株式会社レンダースエクスチェンジが大阪で設立されました。翌年には東京と横浜の銀行協会が個人信用情報センターを設立しています。団地金融から発生した消費者金融の業界は、消費者ニーズをとらえて急成長していました。まだ貸金業法もなかった時代なので、金利は当時の出資法上限金利の一〇九・二%でした。市中金利も高い時代でしたが、これならそこそこ回収ができれば極大化された利益が期待できます。そこに目を付けた消費者金融会社が、アメリカから何社もわが国に進出してきました。

アメリカにはすでに業界横断型の個人信用情報機関があったので、当然日本でも使えるものと思って来たのでした。しかも金利は国内の業者の半分ぐらいでしたから、消費者の利益にもなると確信を持っていました。彼らはわが国に上陸すると、消費者金融業界の個人信用情報機関に加盟の申請をしました。ところが予想に反して却下されてしまいました。貸し倒れなどの不良債権の情報は、高い”授業料”を払った財産であって、それを他社に、それも外資の企業に利用させるなどあり得なかったのです。そこで外資系の消費者金融会社は、独自に個人信用情報機関の設立を目指しました。

その結果、一九七九年に外資系の消費者金融会社と信販会社の一部によって、株式会社セントラル・コミュニケーション・ビューロー(現:株式会社日本信用情報機構)が設立されました。この段階でわが国の個人信用情報機関は、割賦系の信用情報交換所、日本信用情報センター、消費者金融系のレンダース、セントラル・コミュニケーション・ビューロー、それに銀行の個人信用情報センターの五つになりました。個人に対する与信に関して、業態の違いはあるにしてもこれだけの機関に情報が分散していては、回収効率のアップという目標を達成するのは困難です。